おもしろ本スクランブル PART.2
 時代背景もおもしろポイントに 清原康正 Yasumasa Kiyohara

 主人公のキャラクター設定とともに、その主人公が活躍する時代の特色、おもしろさを、主人公とからめてどれだけアピールすることができるかどうか。時代・歴史小説の魅力はこうしたポイントにもある。
 鳴海風(なるみふう)の『和算(わさん)忠臣蔵』は、日本の数学・和算を軸に赤穂浪士たちの吉良邸討ち入りを陰で操った黒幕の存在に注目した異色の“忠臣蔵”。
 米沢藩主上杉綱憲の家来・河合和真(かずま)は、江戸の中屋敷で勘定方を務めるかたわら、堀内道場で剣の修業に励み、赤穂藩主浅野長矩の家臣・村松喜兵衛に算術を学んでいる。喜兵衛の息子三太夫とは道場仲間で、その妹の円との結婚が目前に控えていたが、元禄14年3月、浅野が吉良上野介に斬りかかる刃傷事件が起こった。吉良が上杉綱憲の実父であったことから、三太夫や円と和真の関係に破綻が生じてしまう。吉良邸の警護に派遣された和真は、算術家として円周率の計算に熱中する一方、円への未練と愛欲の度合いを深めていく。和算への情熱、武士の意地、円への思いなど和真の複雑な心情を軸に、“忠臣蔵”の背後に存在した暦作りの秘法・利権をめぐる幕府と朝廷の謀略、暗闘のさまが浮き彫りにされていく。『円周率を計算した男』『算聖伝』で和算の世界を描き出した作者だけに、独自の“忠臣蔵”を構築することに成功している。
 小泉武夫の『蠎之記(うわばみのき)』は、江戸時代の8人の大酒豪たちの痛快な呑みっぷりとそれぞれの酒人生を描き出した酒豪小説集。作者は酒をこよなく愛する醸造学者だけに、酒と肴にまつわるさまざまな文化史の蘊うん蓄ちくを楽しむこともできる。
 身上惜しまぬ希代の宴会名人で、毎晩のように接待客と盃を交わして軽く三升は呑む材木問屋の御隠居。アルコール中毒の概念がなかった時代に、酔う速度を自分の体で計測した利き酒師。旗本の主人に代わって客の盃を受ける役目で七升を呑んだ下級武士。22歳の時に一斗一升を4時間で、30歳の時に一斗九升九合を5時間で呑み干した鯉問屋。若者宿の酒で鍛えられ、千住の大酒合戦で七升五合で優勝した左官屋。この他にも桁外れの奇想天外な大酒呑みが次々に登場してくる。8人の男たちはいずれも醜態は示さず、結構長生きしており、その体力と精神力には驚かされる。
 高橋直樹の『裏返しお旦那博徒』は、幕末期の甲州で博徒として名を馳せた“武居(たけい)の吃安(どもやす)”こと中村安五郎の壮絶な生涯を描いた博徒小説。
 甲州・武居村の名主の次男に生まれた安五郎は、人並みすぐれた堂々とした体躯と怖いもの知らずの度胸で、甲州から東海にかけて縄張りを広げていった。その喧嘩人生、博打人生の過程に、黒駒の勝蔵、津向(つむぎ)の文吉、祐天仙之助など侠客もののジャンルでは名が知られている博徒たちがからんでくる。さらには元館林藩士だった浪人の犬上郡次郎との友情と離反のさまを描くことで、博徒と武士の心情のありようの違いをも浮き彫りにしている。この浪人者を主人公の対極に設定したことで、主人公像に深い陰影を与えることができた。動乱期の時代状況と博徒たちの関わりにも興味深いものがある。
 宇江佐真理の『おぅねぇすてぃ』は、英語通詞をめざして函館の商社で働く千吉と東京で米国商人の妻となっていたお順の、激しくも一途な恋の顛末を描き上げた、著者初の明治ロマン。
 文明開化にわく明治5年、千吉は上京するたびにお順との逢瀬を重ねていた。2人はさまざまな障害を一つずつ乗り越えていくのだが、題名は英語のオネスティのことで、千吉は「正直、真心」と訳していた。この語の真の意味が、千吉の人間関係やお順との恋のありようを象徴するものとして、物語全体に関わっていくおもしろさがある。函館、横浜、東京のそれぞれの文明開化のさま、明治政府の近代化政策、英語学習に見る西欧文明の摂取のさまなどを、物語の背景で丁寧にとらえていく手法で独自の明治ロマンをかもし出すことに成功している。

(日販発行:月刊「新刊展望」2月号より)

『和算忠臣蔵』
鳴海風
小学館
本体価格 1,700円

『円周率を計算した男』
鳴海風
新人物往来社
本体価格 1,800円


『算聖伝』
鳴海風
新人物往来社
本体価格 2,000円


『蟒之記』
小泉武夫
講談社
本体価格 1,800円


『裏返しお旦那博徒』
高橋直樹
文藝春秋
本体価格 2,095円

『おぅねぇすてぃ』
宇江佐真理
祥伝社
本体価格 1,600円

 
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